文章の推敲はAIに任せていい?便利だけど「万人受け」になる話
このブログの推敲もClaude Code(AI)に手伝ってもらっている料理人が正直に。AI推敲は誤字も読みやすさも整えてくれて便利。でも、よくも悪くも「万人受けする文章」になり、自分らしさが薄まる。だから線引きはひとつ——表現は任せても、自分の考えだけは絶対に破らせない。
2026年8月22日(更新:2026年8月22日)
正直に言うと、このサイトの文章は、僕ひとりで書いているわけじゃありません。Claude Code(AI)に手伝ってもらいながら書いています。記事を書くとき、推敲——読みにくいところを直したり、整えたり——もやってもらっています。
じゃあ、文章の校正や推敲は、全部AIに任せてしまっていいのか。 実際にやってみて、便利さと同時に、ひとつ「落とし穴」に気づきました。今日はその話です。
AIの推敲は、普通に便利
まず、いい話から。AIに推敲させると、文章はちゃんと整います。
誤字脱字、「てにをは」、同じ言葉の繰り返し、やたら長い一文——そういう「読みにくさ」を、AIはきれいに直してくれる。自分では気づけなかった粗が取れて、読みやすくなる。書くこと自体のハードルは、これでかなり下がりました。ここは素直に助かっています。
でも、よくも悪くも「万人受け」になる
問題はその先です。使っていて気づいたのは——AIに推敲させると、よくも悪くも"万人受けする文章"になるということ。
角が取れて、誰が読んでもつっかからない、なめらかな文章になる。それ自体は悪くない。でもその代わりに、自分らしい言い回しや、ちょっとした引っかかり——"この人が書いた感じ"が薄まっていく。 きれいだけど、のっぺりする。整えるほど、自分の色が抜けていく感覚があります。
「これ、自分の言葉かな?」と思う瞬間
推敲してもらった文章を読み返すと、正しいし、読みやすい。でもたまに、「これ、自分の言葉だったかな?」と思うことがあります。
間違ってはいない。むしろ上手い。でも、自分が最初に書いたときの、ちょっと不格好でも「言いたかったこと」が、丸くならされて消えている。この感覚が、AI推敲のいちばんの限界だと思っています。
だから、線引きはひとつだけ
その上での結論です。基本は、AIに任せていいと思っています。誤字も読みやすさも、任せた方が早いし、正確。そこで意地を張る必要はない。
でも、ひとつだけ絶対に守っていることがあります。——自分の考えだけは、AIに破らせない。
表現は整えてもらっていい。でも「何を言いたいか」「どう思っているか」は、1ミリも譲らない。AIが「こう書いた方が自然ですよ」と直してきても、それが自分の考えとズレていたら、戻します。ここを渡すと、自分の記事じゃなくなるから。AIくささが出て困る場面があるのも、たぶん根っこは同じです。
難しいけど、そこが分かれ目
正直に言うと、「どこまでが"表現"で、どこからが"自分の考え"か」の線は、いつもきれいに引けるわけじゃありません。難しい。 直された一文が、ただの言い回しなのか、自分の芯なのか、迷うこともあります。
でも、その都度いったん止まって「これは自分の考えか、ただの言い方か」と一回だけ問い直す。それだけで、AIに全部は持っていかれずに済む。この"ひと呼吸"が、AIと文章を書くときの分かれ目だと思っています。
まとめ
- このブログの推敲は、Claude Code(AI)に手伝ってもらっている
- AI推敲は誤字・読みやすさを整えてくれて、普通に便利
- ただしよくも悪くも"万人受け"になり、自分らしさが薄まるのが限界
- 線引きはひとつ——表現は任せても、"自分の考え"だけは絶対に破らせない
- その線は難しいけど、「これは考えか、言い回しか」と一回止まるだけで守れる
便利だから使う。でも、自分の芯まで明け渡さない。AIと文章を書くのは、たぶんずっと、この綱引きなんだと思います。
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